忘れたいと思うと忘れず、許そうとすると許せない

ふきのとうを見ると、春だなぁ。

誰でも人生で、忘れてしまいたいことがあります。

思い通りの結果ではなかった恋愛の事、受験の結果、恥ずかしい思いをしたこと、叱られたこと、震災の経験。挙げるとキリがない。

忘れたい、忘れたい、忘れたいと復唱していると忘れるはずもないです。

どうやって私は忘れたのかというのは、結局忘れようと努力した結果ではなくて、仕事のことを考えたり、新しい心地よい家を探したり、次の休日はどこへ出かけようかと考えたりしているうちに、記憶から結果的に遠ざかると言うものです。これは誰にでも経験があることだと思います。

許すと言う話もすごく似ていると思いまして、許そう、許そう、許そうといつも許すための努力をしてみても、心から納得して許すと言う事は難しい。

もちろん時の経過によって許すところまで進んでいくこともあるでしょうけれど、私は店の仕事で常によもぎの香りを嗅ぐと言う環境におり、結果精神的に良い状況を維持できているなと感じます。

もっとわかりやすくひもといてみると、自分が思ったような結果ではない場面でも、第三者的な目線から俯瞰するように起きている事柄を判断することができており、自分と違う価値観の人と出会ったとしても違う考え方すらも相手を尊重するようになり、その結果自分も尊重される。

それが無理ならば距離をおけばいいと自己責任で判断する。

震災の傷と言うのは当事者にとってはまだまだ癒えないものであろうことと想像しますが、ぜひ自然に触れたり、よもぎの香りを嗅いでみたり、お風呂であったまってほっとする時間を持っていただきたいなと願います。

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